The Members

“Say it with Data.” (the Seminar motto)

Department of Sociology,
Hosei University (Tokyo, Japan)

堀川ゼミのメンバー|Members of the Seminar

演習[1]〜[3]
Classes of ’25-’27

美しい町並みのヨーロッパ。でも,それは長年の市民的努力で築かれ,守られてきたはずのものだ。ならば,その努力に学べば,人を笑顔にする都市も作れるのではないか。日本と海外事例を比較しながら論じてみたい。[22期生]

都市には様々な人が住んでいる。ルーツ国のアイデンティティを堅持して生きる人いれば,日本人として生きる人もいる。ルーツを忘れぬようにという施策が,日本での生き難さを産み出すとしたらどうしたらよいのか。川崎を事例に考えてみたい。[22期生]

地方都市は寂れていてダメなのか—人が少ないということには,デメリットだけでなく,大きなメリットもあるのではないか。「生活の質」という点に着目しながら,岐阜を事例に考察したい。[22期生]

訪ねた沖縄で見たものは,祖父母の喜ぶ顔と,基地が原因で起された公害被害だった。どのようにしたら問題は解決するのだろうか。なぜ,沖縄に米軍基地が集中しているのだろうか。自分なりに冷静に考えていきたいと思う。[22期生]

ここは高速道路がないからよい街だ—ふと耳にした通りの会話は何を意味するのだろうか。高速道路はかくも大きく街を変えてしまうのか。変えてしまうとしたらそれはなぜか。街を歩きながら考えてみたい。[21期生]

巨大ニュータウンの再生が大きな政策課題になっている昨今,顧みられることのないニュータウンもまた,存在する。その差は何なのか。京都府亀岡市にある茨木台ニュータウンでのフィールドワークをもとに,ニュータウン再生の方途を探ってみたい。[21期生]

沖縄に住んでいた時には気付かなかった,強い郷土意識。それは他の県民性と比較しても,特異な強さがあるようにみえる。それは本当だろうか。「ないちゃー」という言葉を軸に考察しようとする実験的試み。[21期生]

祖父母の家がある鎌倉は,たしかに歴史と文化を感じられる街だ。それがなぜ,世界文化遺産に選ばれなかったのか。武家の古都・鎌倉と認定されなかったことは良いことなのか,悪いことなのか。制度自体を問い直す論考。[21期生]

なぜ,守られる自然環境と無視されていく自然環境があるのだろうか。そこには守るべきもの/まもらなくてよいものという,社会の側の認識過程があるのではないか。自然環境の帰趨を左右する,この社会過程をフィールドワークで明らかにしたい。[21期生]

美術館はもっと開かれる必要がある,だから脱美術館だ—こうした思潮は,結果的に現代美術と美術館を守ったのだろうか。文化政策によって美術館が豊かになったというより,むしろ逆ではないか。この意図せざる結果を読み解きたい。[20期生]

『山と渓谷』創業者の川崎吉蔵は,「正しいアルピニズム」を提唱し,山での保養の規範を確立しようとしていた。それから93年,日本の登山は便利化,観光化の一途を辿ったが,その帰結は何か。A.コルバン『レジャーの誕生』を補助線に,「自由時間のアノミー」について考察するつもりだ。[20期生]

「東日本大震災のあの時,私は現場にいなかった」と悩む東北人がいる。津波や原発被害の記憶を共有できない私は当事者なのだろうか—当事者/非当事者の二分法では,かえって見えなくなってしまう位相を明らかにしたい。[20期生]

食べるに困っている人びとがいる一方で,大量の食品が廃棄されている日本。単に「もったいない」と言わず,さりとて「分配問題だ」と片づけてしまわずに,環境問題という位相で語ってみたい。[20期生]

卒業生
Classes of ’17-’24

公園は公共空間だ。それは法制度がそう規定しているからではなく,市民的実践からそうなっているのだ—隅田公園事業を歴史的に辿り直すことによってそれを示す歴史社会学的な論文である。[19期生]

リベラルな学園都市・国立というイメージは,谷保という地域を除外したものではないか—こうした問題意識の下,徹底したインタビューによって,新たな国立像を描くことに成功した労作。[19期生・2023年度社会学部優秀卒業論文賞に選出]

商業施設は,文字通り,商業のためのものだ。しかし,屋上遊園地のような娯楽・祝祭空間も併設されてきた。それらはなぜ,衰退していったのか。デパートの屋上を基点とした戦後社会論というユニークな試みである。[19期生]

住んでいる町や空間は,僕のモチベーションをも左右してしまう。単なる物理的なモノでしかないはずなのに,なぜ?——この疑問を核にして,国立市を事例に探究を進めていきたい。[18期生]

帰省して同窓生と和んでいたその席で,故郷の風景の変化に,さまざまに異なる反応がでる。同じ風景を見ていても,まったく違ったまなざしが併存している。その構造に迫りたい。[17期生]

地元の自治会が主催する小さな祭は,新規来住者層をも包み込んで,途切れる事なく続いてきた。一方で廃れていく祭もある。何がその違いを生み出すのか。徹底したフィールドワークで明らかにしたい。[17期生]

幼少期に慣れ親しんだ近所の団地。大学生になって久しぶりに訪ねてみれば,異国のように多様な住民がいた。その時に感じた「恐怖感」とは何だったのか。自らを覗き込むようなフィールドワークの成果。[17期生]

農村に移住してきた人々は自然を愛しているという。でも,そのライフスタイルは都会的で自然志向には見えない。この矛盾をいかに理解したらよいのか。藤野でのフィールドワークを,労働の哲学で読み解く試み。[16期生]

奥山の不便な集落に,なぜ人は住み続けるのか。そこに見られる地域コミュニティを子細に調べながら,村人の心性を探っていきたい。丁寧な手つきで,奥深くまで。[16期生]

当たり前にそこにあると思っていた故郷。だがそこには「長十郎梨」という郷土の誇りと,深刻な環境汚染があった。両者を含み込んだコミュニティ論を構想したい。[16期生]

ハコモノを建てるだけがまちづくりではないだろう。かといって住民運動だけでもあるまい。北海道小樽市での定点観測データを読み解きながら,公共事業がいかにまちづくりに貢献するのか・しないのか,実証的に議論したい。[16期生]

なぜ中国人は爆買いするのか。このシンプルで陳腐な問いを,人種的ステレオタイプではなく,もっと実証的に議論をしてみたい。流暢に日本語を操りながらの知的探究の成果。[16期生]

重度な障害を持つ人の当事者としての権利を擁護する人々がいる一方で,排除を正当化しようとする人々もいる。その排除の思想の源流はどこになるのか。実証的に論じたい。[15期生]

自主避難者はワガママなのだろうか。倫理的糾弾で見えなくなっているのは,自主避難者が産み出される構造なのではないか。自身の避難体験をもとに論じた,渾身の卒論。[15期生]

なぜ原発事故を経験した日本で再稼働が進み,事故経験のないドイツが脱原発に踏み切れたのか。この問いを中心に,近代化以降の日本の政治,思想史を紐解き,環境政策の成立条件と文化を考察した論稿。[15期生]

誰もはっきりは言わないのに,確かに感じる帰郷への圧力。ローカル・トラック論はそれを説明し切れていないのではないか——論文はここから始まり,ここへ還っていく。[14期生]

貧困の連鎖を断ち切るためにあるはずの生活保護制度が,かえってそれを助長してしまっているのではないか。この「生活保護制度と貧困の連鎖のパラドクス」というべきメカニズムを,家父長制と制度の逆説という視点から考察した労作。それは思考の檻から解き放つための論稿と呼ぶべきものでもあった。[14期生]

20年前には住民の反対で頓挫した開発計画が,今や反対もなく粛々と進んでいるのはなぜか。共有地の公共性は一体,どこへいってしまうのか。トヨタ自動車テストコース建設計画を事例に,里山の実質的所有権と土地利用の公共性とを再考しようとする論稿。[13期生]

コミュニティの衰退を嘆き復興を説く論稿が溢れている。だが,本当にコミュニティは衰退しているのか。むしろ,「衰退している」と論じる者たちの背後仮説こそを問うべきではないのか。コミュニティ論の背後仮説を炙り出そうと果敢にも挑戦した卒論。[13期生]

まちづくりを主導するのは誰か。鎌倉の洞門保存問題を事例に,市当局と市民運動間の対立だけでなく,市民の間のすれ違いをも描くことにより,まちづくりを実質的に進める力の源泉を問う。それはCommunity Power Structure論の再検討でもあるはずだ。[13期生]

本来,無償奉仕であったボランティアは,いつから有償ボランティアへと変化したのか。価値合理的な行為としてだけでなく,経済合理性とボランティアの公共性の変容を意味を論じた。[13期生・本ゼミを卒業後,早稲田大学大学院に進学し,2020年3月に修士号を取得]

古い歴史的景観の修景に補助を出しても,それは住民を守りはしないのではないか。大阪・空堀地区での景観定点観測調査と,生活史の聞き取り調査にもとづいて,HOPE修景制度による建築保存スキームを鋭く問う渾身の論稿。[12期生]

新規就農者は増えているが,彼らは離農してしまう。理由は農地の不足だ。有り余る農地と農地不足で離農する者たち。この過剰と不足のミスマッチはなぜ起こるのか。土地の「総有」を超えた農業の心性を問い直す一篇。[12期生]

「古臭くて使いづらい家々」だった町並みは,いつから,どのように「守るべき郷土の景観」となっていったのか。大祭への徹底した聞き取り調査から,佐原アイデンティティの基底を見出し,町並み保存事業を支えた心性を捉える[12期生]

社宅が並ぶ「会社の町」は,いかにして「自分事の町」へと変化したのか。40年以上という長きにわたって継続されてきた諸活動の情熱の源泉はどこにあるのか。千葉県市原市青葉台団地を舞台に,この難題に果敢に挑む論稿。[12期生]

卒業生(大学院)
Graduate School Alumni/ae

本来,無償奉仕であったボランティアは,いつから有償ボランティアへと変化したのか。価値合理的な行為としてだけでなく,経済合理性とボランティアの公共性の変容を意味を論じた。[13期生・本ゼミを卒業後,早稲田大学大学院に進学し,2020年3月に修士号を取得]

演劇を生業とする「劇団」。だが,劇団は演劇だけでは食べていけない。ならばなぜ劇団は存続しているのか。制度を越えた現代日本演劇のエートスを探る試み。[10期生・本ゼミを卒業後,上智大学大学院修士課程に進学し,2017年3月に修士号を取得。会社員勤務を経て,現在,同大学院博士課程に在学中]

北タイ・古都チェンマイにおける景観保存運動を事例に,4つの異なる宗教が集うこの地区で,なぜ宗教の壁を超えて町並み保存運動が成立したのか,について考察した。長期にわたる現地住み込みフィールドワークの一次データをもとにした記述は,従来の「歴史的環境保存の社会学」が欠落させてきた,エスニシティと宗教の視点の有効性を説得的に示している[2012年3月,修士号授与・その後,英国のUniversity of Stirlingに留学,MScを取得]

有機農産物認証制度に関する諸課題を,5人の農家の詳細な生活史を通して明らかにした労作。消費者保護のために創設された認証制度が,農家の生き方や「言葉」を制約してしまうという「意図せざる結果」を招いているのではないか。多様であるはずの有機農業の在り方と,平準化・規格化を旨とする認証制度の相克を,「分厚い」一次データで描いた意欲的な修士論文である。[6期生・2012年3月,修士号授与]

■  備考
学年表記の「’27」は“Class of 2027”の略で,学部を2027年3月に卒業予定の2年生であることを示します。「’26」は3年生を,「’25」は4年生を意味します。同様に「*12」は“Class of 2012”の意味で,アスタリスク(*)は大学院の修了年を示しています。これらはアメリカの大学・大学院での一般的な表記法で,本ゼミでもこの表記法を援用しています。