Say it with Data. —— Horikawa Seminar

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法政大学社会学部創設70周年公式ロゴ

デザイン=堀川三郎

The official 70th anniversary logo designed by Saburo Horikawa. Copyright © 2019 by Saburo Horikawa. All rights reserved.

■ 演習[2](The Class of 2024)

なぜ「食品ロス」が起こるのか

食べるに困っている人びとがいる一方で,大量の食品が廃棄されている日本。単に「もったいない」と言わず,さりとて「分配問題だ」と片づけてしまわずに,環境問題という位相で語ってみたい。

再エネ政策の地域間格差はなぜ起こる

どの自治体も,判で押したように再生エネルギー政策を掲げているが,導入にあたっての地域間格差は著しい。なぜ,こうした格差が生まれるのか。フィールドワークとインターンを通して明らかにしていきたい。

なぜ自転車は除け者にされるのか

環境問題を解決する上で,ガソリン自動車の削減と自転車の導入は重要なはず。なのになぜ,自転車は路上で除け者にされ,政策上も優遇されていないのか。まちづくりという観点からも考察をしていきたい。

海洋汚染という難題を考える

マイクロプラスティックによる海洋汚染の解決のために,どのような施策が有効なのだろうか。効果が疑問視されるレジ袋有料策が実施されていくのはなぜだろうか。実証的に議論を立ててみたい。

商業施設のまちづくり的役割?

商業施設は,文字通り,商業のためのものだ。しかし,その町への影響は極めて大きい。商業施設がまちづくりにおいて果たす役割と負の側面を,フィールドワークをもとに,明らかにしていきたい。

■ 演習[3](The Class of 2023)

公共空間の持つ大きな力

住んでいる町や空間は,僕のモチベーションをも左右してしまう。単なる物理的なモノでしかないはずなのに,なぜ?—この疑問を核にして探究を進めていきたい。

日本はなぜ火力発電に頼り続けるのか

時代に逆行する火力発電に頼る日本。不名誉な「化石賞」を受賞した日本のエネルギー政策を自分なりに問い返し,火力にも原発にも頼らない道筋を考察したい。

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■ 直近の卒業生(学部)

故郷の風景はひとつか

帰省して同窓生と和んでいたその席で,故郷の風景の変化に,さまざまに異なる反応がでる。同じ風景を見ていても,まったく違ったまなざしが併存している。その構造に迫りたい。

まちづくりが継続するのはなぜか

問題が解決したのに,なぜ,人はまちづくりに取り組み続けるのか。小樽実習での経験をもとに,作為要求型,作為阻止型という住民運動の類型論を刷新していきたい。

まちづくりはビジネスか

まちづくりを担う主体は住民と誰が決めたのか。半住民の関与という視点から,まちづくりのビジネス化の可能性と限界,その持続可能性を実証的に論じていこうと思う。

「観光開発」だけが方策なのか

緩やかだが,確実に衰退していく私の故郷。目立った観光資源もないこの町を救う手段はないのか。観光開発ではない何かをみつけるべく,勉強に励みたい。

自然志向は本当に自然指向か

農村に移住してきた人々は自然を愛しているという。でも,そのライフスタイルは都会的で自然志向には見えない。この矛盾をいかに理解したらよいのか。

不便でもそこに住むことの論理とは

奥山の不便な集落に,なぜ人は住み続けるのか。そこに見られる地域コミュニティを子細に調べながら,村人の心性を探っていきたい。丁寧な手つきで,奥深くまで。

郷土の誇りと郷土の公害

当たり前にそこにあると思っていた故郷。だがそこには「長十郎梨」という郷土の誇りと,深刻な環境汚染があった。両者を含み込んだコミュニティ論を構想したい。

まちづくりへの貢献の中身とは

ハコモノを建てるだけがまちづくりではないだろう。かといって住民運動だけでもあるまい。たとえば音楽とまちづくりは繋がらないのだろうか。調査をしながら考えていきたい。

観光開発の光と陰---中国・桂林を事例に

風光明媚な桂林の景観は観光資源だ。だが,観光開発の果実は市民に還流しているのか。環境汚染の影響はないのか。観光に沸きながら発展が実感できない不思議な桂林の現状に迫る。

やりたい事がみつからないのはなぜか

自分のやりたい事をベースに,進学先や就職先を探す——当然視されているこの論理には,何か見えない背後仮説があるのではないか。【New Zealand語学留学から復学】

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障害者排除の思想の源は何か

重度な障害を持つ人の当事者としての権利を擁護する人々がいる一方で,排除を正当化しようとする人々もいる。その排除の思想の源流はどこになるのか。実証的に論じたい。

自主避難者たちの困難と構造災

自主避難者はワガママなのだろうか。倫理的糾弾で見えなくなっているのは,自主避難者が産み出される構造なのではないか。自身の避難体験をもとに論じたい。

なぜ脱原発がドイツで進むのか

原発事故を経験した日本で再稼働が進み,事故経験のないドイツが脱原発に踏み切れたのか。この問いを中心に,環境政策の成立条件と文化について研究していきたい。

何が僕を沖縄へと引き戻すのか

誰もはっきりは言わないのに,確かに感じる帰郷への圧力。ローカル・トラック論はそれを説明し切れていないのではないか——論文はここから始まる。

生活保護制度と貧困の連鎖のパラドクス

貧困の連鎖を断ち切るためにあるはずの生活保護制度が,かえってそれを助長してしまっているのではないか。家父長制と制度の逆説という視点から考察する。

里山は誰のものか:共有地の「公共性」

20年前には住民の反対で頓挫した開発計画が,今や反対もなく粛々と進んでいるのはなぜか。トヨタ自動車テストコース建設計画を事例に,里山の実質的所有権と土地利用の公共性とを再考しようとする論稿。

コミュニティ論の背後仮説を炙り出す

コミュニティの衰退を嘆き復興を説く論稿が溢れている。だが,本当にコミュニティは衰退しているのか。むしろ,「衰退している」と論じる者たちの背後仮説こそを問うべきではないのか。

まちづくりを主導するのは誰か

鎌倉の洞門保存問題を事例に,市当局と市民運動間の対立だけでなく,市民の間のすれ違いをも描くことにより,まちづくりを実質的に進める力の源泉を問う。それはCommunity Power Structure論の再検討でもあるはずだ。

ボランティアの両義性とその意味変容

本来,無償奉仕であったボランティアは,いつから有償ボランティアへと変化したのか。価値合理的な行為としてだけでなく,経済合理性とボランティアの公共性の変容を意味を論じた。[本ゼミを卒業後,2020年3月,早稲田大学大学院に進学し,2020年3月に修士号を取得]

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建築保存と生活景のの保全の相克

古い歴史的景観の修景に補助を出しても,それは住民を守りはしないのではないか。大阪・空堀地区での景観定点観測調査と,生活史の聞き取り調査にもとづいて,HOPE修景制度による建築保存スキームを鋭く問う渾身の論稿。

新規就農者と土地のパラドクス

新規就農者は増えているが,彼らは離農してしまう。理由は農地の不足だ。有り余る農地と農地不足で離農する者たち。この過剰と不足のミスマッチはなぜ起こるのか。土地の「総有」を超えた農業の心性を問い直す一篇。

佐原:小江戸から江戸勝りへ

「古臭くて使いづらい家々」だった町並みは,いつから,どのように「守るべき郷土の景観」となっていったのか。大祭への徹底した聞き取り調査から,佐原アイデンティティの基底を見出し,町並み保存事業を支えた心性を捉える。

会社の町から自分事の町へ

社宅が並ぶ「会社の町」は,いかにして「自分事の町」へと変化したのか。40年以上という長きにわたって継続されてきた諸活動の情熱の源泉はどこにあるのか。千葉県市原市青葉台団地を舞台に,この難題に果敢に挑む論稿。

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■ 直近の卒業生(大学院)

ボランティアの両義性とその意味変容

本来,無償奉仕であったボランティアは,いつから有償ボランティアへと変化したのか。価値合理的な行為としてだけでなく,経済合理性とボランティアの公共性の変容を意味を論じた。[本ゼミを卒業後,2020年3月,早稲田大学大学院に進学し,2020年3月に修士号を取得]

現代日本の劇団制に関する考察

演劇を生業とする「劇団」。だが,劇団は演劇だけでは食べていけない。ならばなぜ劇団は存続しているのか。制度を越えたエートスを探る試み。[本ゼミを卒業後,上智大学大学院修士課程に進学し,2017年3月に修士号を取得]

宗教コミュニティと「保存の論理」

北タイ・古都チェンマイにおける景観保存運動を事例に,4つの異なる宗教が集うこの地区で,なぜ宗教の壁を超えて町並み保存運動が成立したのか,について考察した。長期にわたる現地住み込みフィールドワークの一次データをもとにした記述は,従来の「歴史的環境保存の社会学」が欠落させてきた,エスニシティと宗教の視点の有効性を説得的に示している[2012年3月,修士号授与・2019年秋からMSc in International Journalism, University of Stirlingに留学]

有機農業に対する「認証」の意味

有機農産物認証制度に関する諸課題を,5人の農家の詳細な生活史を通して明らかにした労作。消費者保護のために創設された認証制度が,農家の生き方や「言葉」を制約してしまうという「意図せざる結果」を招いているのではないか。多様であるはずの有機農業の在り方と,平準化・規格化を旨とする認証制度の相克を,「分厚い」一次データで描いた修士論文である。[2012年3月,修士号授与]

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■  備考

学年表記の「’25」は“Class of 2025”の略で,学部を2025年3月に卒業予定の2年生であることを示します。「’24」は3年生を,「’23」は4年生を意味します。同様に「*12」は“Class of 2012”の意味ですが,アスタリスク(*)は大学院の修了年を示しています。これらはアメリカの大学・大学院での一般的な表記法で,本ゼミでもこの表記法を援用しています。

 

 

 

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Horikawa Seminar

Department of Sociology, Hosei University

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